
9:40の号砲と共に一斉にランナー達が飛び出して行く。奇声を発する者や
着ていた服を空高く放り投げる者など様々、その空から降って来た服に
視界を遮られて爆笑を買っている人など周りは楽しくも和気あいあいとした
雰囲気に満ちている。だがスタートラインに近づくにつれてどのランナーの
顔も一気に引き締まって行く。いよいよ2014 NYC Marathonがスタートした。


スタート〜5km
5'17" - 4'42" - 4'37" - 4'49" - 4'50"
スタート地点はベラゾノブリッジというブルックリンとスタテン島を結ぶ
フリーウェイの橋の上なのだが、その橋を一気に中程まで上り真ん中を越える
と当たり前だが一気に下りに転ずる。最初はランナー渋滞があって思うように
スピードが上がらないのだが、km5'00"を念頭になるべく近いタイムに寄せる
べくランナーの間を縫うように走る。進行方向左には遠くマンハッタンが見え、
ゴールのあるセントラルパークに思いを馳せた。50mぐらい先に3:30:00の
ペーサーの姿が見える。出来ればあのペーサーに付いて行きたい。この思いが
ペースに反映するように下りのスピードが上がってしまった。3kmでペーサー
に追いつき4kmからペースが落ち着いてきた。橋を下り切るとBay Ridgeの街
を4thAve沿いにブルックリンの中心部へと向かう。この辺りは平らな直線で
ペースも維持しやすく粛々と進む。ところがペーサーに付いて行く事に必死で
周りの声援や雰囲気を楽しむ余裕が無い...

5km 〜 10km
4'54 - 4'56" - 4'58" - 4'54" - 5'05"
最初のランナー渋滞が落ち着いた事でペースがkm5'00"に近いところまで
自然と下がってきた。息遣いはまったく苦しくなく呼吸の乱れも無い。
10km程でブルックリンの高級住宅街Park Slopeを抜けブルックリンの
中心部へ入って来た。フラットブッシュアベニューに左折する辺りには
物凄い大観衆に待ち受けられ大歓声に大音量のバンド演奏、チアリ−ディング
のダンスで大盛り上がりだ。実は橋を下りて直ぐからこんな感じなのだが
10km走ってようやく周りの景色を見る余裕が出来たという事だと思う。

10km 〜 15km
4'53" - 4'54" - 4'54" - 5'00" - 4'55"
10km以降も順調なペースで距離を重ねて行く。ブルックリンの中心部から
ラファイエットアベニューに入るとお洒落なカフェが立ち並ぶ緑が濃い
エリアに入ってくる。道幅も狭くなるが、その分観衆との距離が近いので
声援を身近に感じる事が出来る。そうそうこの辺りから自分の名前を呼んで
くれる声が聞こえ始める。ムフフ.. 夜な夜な裁縫作業をした甲斐があった。
そうだ!皆もっとオレの名前を呼んでくれ!I'm Here〜! みたいなちょっと
した自己陶酔感に酔いしれる.. でもね Rio keep going ! とか Rio you so
strong ! とか名指しで声を掛けられると気持が良いものなのです。

15km 〜 20km
4'59" - 5'04" - 4'55" - 4'57" - 4'58"
15km以降も安定したペース配分。それもそのはずペーサー様々なのです。
コースはベッドフォードアベニューに左折しブルックリン北部を縦断して
行く。このウィリアムスバーグの北は今最もNYで熱いエリアと呼ばれて
いて、NY観光のガイド本各誌には必ず掲載されている場所だ。ただ道幅は
極端に狭くなるところなので油断は禁物。上手く走らないとペースを乱され
かねないので要注意エリアでもある。


20km 〜 25km
4'49" - 4'54" - 4'52" - 5'27" - 5'58"
20km以降、特に24km〜25km地点が最大の難所であるクィーンズボロ橋が
待ち構えている。ウイリアムスバーグからポーランド人街であるグリーン
ポイントに入るといよいよブルックリンともお別れ。境界のプラスキー橋を
渡るとクィーンズに入った。難所の橋を渡る手前で家族が応援に来てくれてい
て大いにパワーを貰った。さてクィーンズボロ橋をどう走るかにその後を左右
される。かなりの坂を粛々と上って行くも道幅の狭さと若干のランナー渋滞で
確実にペースが下がる。上り2kmは5'27"、5'58"とかなりペースを食われて
しまった。
25km 〜 30km
5'06" - 5'01" - 5'02" - 4'53" - 5'10"
25km以降この辺りからペース崩壊の序章が始まっていた.. クィーンズボロ橋
の下りは何とかペースを持ち直してkm5'00"近くまでペースも回復するも、
橋を渡り切ってマンハッタンに入り1番街を北に向かって進路を変えたのだが
そこで、右の太腿裏が一瞬攣りそうになる.. うっ!これはイカンとペースを
落として回復をはかると3:30:00のペーサー集団から一気に置いて行かれた...
アディオス!後はがんばって自分で努力します.. この攣りの原因を分析するに
クィーンズボロ橋の下りでペーサーのハイペース(瞬間3'50")に付いて行った
のがやり過ぎだったのだろうと思われる.. 何とかペースを落とす事で攣りも
解消され孤独な戦いに突入した。

30km 〜 35km
5'00" - 5'05" - 5'04" - 5'12" - 5'18"
30km以降はみるみるうちにペースが落ちてきた... 33km地点までは爆発的
な応援で何とかペースにも粘りが見られる。1番街はNYCマラソンでも最大
の応援ポイントでそれはもう物凄いとしか言いようが無い。日本人の有志も
79Stの角に日本の国旗を目印に暖かい声援を送って頂き、ブロンクスに渡る
橋の手前でも30km越えて疲労も濃いところで「がんばれ〜」の掛け声は胸に
染みた.. しかしブロンクスに渡る橋の上りではkm5'00を維持出来なくなって
いて、あちこち痛み始めた。


35km 〜 40km
5'11" - 5'18" - 5'43" - 5'37" - 6'38"
そして魔の35kmを越えるとブロンクスから5番街に入るが、最初こそ平坦な
直線なのだがペースは5'20"ぐらいを維持するのがやっと.. セントラルパーク
の横に差し掛かると2kmの坂が待ち受けていて、これがホントにジワジワ効い
てくる。97Stに再び家族が待っている事を心の支えに腕を降って歩幅も短く
文字通り登って行く感じだ。しかし坂を上りきって家族に再びパワーを貰い
セントラルパークに入ったところで運が尽きた.. 練習不足の代償なのだろうが
左の太腿裏がいきなり攣った。たまらず立ち止まり対処しようとするのだが
太腿裏の攣りを解消させる術を知らず、ひとまず脹ら脛と同じ要領で反らせて
みる。あまり効果があったとは思わないが、あえて走り始めた。この時は
ゆっくりでも良い。攣りさえしなければ走れる。歩くのはゴメンだ。
そんな思いだった。


40km 〜 ゴール
5'56" - 5'30" - 1'57"
セントラルパークに入った後もこれでもかとアップダウンが続く。普通なら
何とも思わないのに今回ばかりは参った。苦しい顔をしながら走る自分に
名指しの応援が染みる.. その声援の一つ一つに腕を軽く上げて答えながら、
必死に進んだ。一旦セントラルパークの南端へ出ると最後の大応援ゾーン。
最後の直線でサプライズな知り合いの応援にまた一つパワーを貰った。
コロンバスサークルから再びセントラルパークに入ると残りはもはや500m。
顎を引いて腕をしっかり降り、大歓声に包まれながらゴールした。
手元の時計で3時間37分30。人生3度目のフルマラソンが終わった。


思い返せば、PBも更新出来、3時間45分も切れたし本来なら喜んでも良い
のに何故だか素直に喜べない。これは恐らく結果は出せたがそのプロセスが
気に食わないからだろう。特に最後が不味かった。自分でも自覚している。
もしは言いたくないが、もしkm5'00"ペースをしっかりとキープして走って
いたらどんなゴールになっただろうか?体は?脚は?考えれば考えるほどに
悔やまれる。しかしこれで来年の東京までにしなければならない事が明確に
なったように思う。残り3カ月ちょっと、この悔しさをバネにがんばって
トレーニングに励みたいと思う。応援してくれた皆様本当にありがとうござ
いました。この場を使って御礼申し上げます。
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次は東京ですね。私も次は3月の横浜です。気持ちも新たにまたお互い、頑張りましょう\(^o^)